先日、メルマガ「NBonline PREMIUM」(12月21日付)にあった、頭記の宋文洲氏の「人口が減ってどこが悪いのでしょう」というのがあった。そのアピールさに興味が引かれて読んが、この記事に対するブロガーの書き込みの多さにも驚かされた。
しかし、その時点ではこれをコラムに書くことなどは考えてもみなかった。ではなぜ、取り上げたかといえば、最近もよく見かける厚生労働省の連続的なデタラメさを思い出し、それに絡めて書いてみようという気になったのだ。
そこで上村メモから、厚生労働省が掲げてきたいい加減な政策、方針その他を拾い出して、夜店の露天商並みに広げてみることにした。
一、宋文州氏の「人口減少論」
イ、特に奇異とは思えないところがミソ
宋文洲氏の「人口が減ってどこが悪いのでしょう」の記事は、まず「『少子化』と『人口減少』という言葉を誰も前向きにとらえていません」から始まっており、概略は次のようなものである。
●このまま減り続けると、日本人がやがて地球から絶滅するような杞憂が横行している。
●日本の国土は狭いというが、人が多すぎて困っている中国の人口密度は、日本よりはるかに低い。日本の技術力、経済力があれば、人間が住める土地を広げることができる。
●産業界の人は、消費人口が減ると市場が萎むと危惧している。そういう人たちは人口減を心配する前に、自社のグローバル展開を心配すべきだ。
●年金は若い人が増えないから問題なのではなく、無駄遣いと不加入が原因、増やさなくても「老齢化」の後には必ず「
正常化」
や「若年化」がやってくる。
●人口が増えたり減ったりするが、それを決めるのは個々人の勘であり、1億人以上の人々が体を張って「人口を減らすべきだ」と言っているから、それはそれなりの深い理由があるからだ。
●「このまま人口が減り続けると…」という議論はほとんと杞憂で、つい最近までは国の公共投資も企業の製品政略も「このまま
増えていく」ということを前提にしていたではないか。
●僕の議論が間違っているかもしれないが、では、日本に適切な人口数はどのくらいか。1億人か、2億人か。どのくらい
の人口が妥当かを考えずに、とにかく、増やすというのは近視眼的。小人数で充実した教育ができ、居住面積の広い家に住めるようにするには8000万人が妥当かもしれない。
●高齢化も社会問題として誰もが口にするが、高齢化は戦争がもたらした不自然な年齢構成であると同時に、人口構成への準備でもある。人はやがて死亡していくので、不自然な若年化も高齢化も必ず時間とともに解消されいく。
とあり、宋氏は最後を次のように結んでいる。
「経済と消費の立場で人口の多寡と構成に危機感を持つよりも豊かな自然を守りながら、個々の生活者の幸福を高めることをもっと議論されるべきではないかと思います。『少子化』が進んでいるのは大多数の日本人にとって潜在意識
の中で賛成していることが顕在化しているためだと思います」
この宋氏の意見に対するブロガーたちの反応は、22日時点では151件だったものが、これを書き終える直前の25日には190件を越えていた。
小生は、何時もコラムはおおむねA4版3枚を限度としているが、今回はかなりの枚数に及びそうであり、ブロガーや小生の意見に興味がない場合は、時間の無駄ですのでここでご休止下さい。
さて読み続けて下さる決心をされた方々には、ここでご質問します。この宋氏の「人口減少論」に対するブロガーたちの
意見が、「賛成」と「反対」のいずれが多いかを、一瞬自問してみて下さい。
答えが出ましたか。驚くなかれ、目算ですが「賛成」は95%以上でした。
その彼らの意見を、賛成派、反対派とに分けみた。
ロ、ブロガーズは「賛否」で熱くなった 賛成派
●(人口増加は世界的にも)環境負荷の増大をもたらす。少子化による総需要抑制は人類の智恵である。
●人口が多すぎる。今年の出生率は増えるらしいが、それはお役人の安心感を得るための宣伝文句。
●「日本の最適人口?」この問いにすべてが集約されている。増減の議論ではなく、(みんなで)最適値がどこにあるのかを考べき。
●日本が持っている力、持たねばならない力、それを再考してみれば人口が絶対条件ではないことがわかる。宋さんの意見は本質的なものだと思う。
●宋さんの意見に賛成。そもそも高齢化が問題なので、少子化自体は何の問題もない。役人の無駄遣いの尻拭いのために子供を産め……なんて誰も生みたくありませんよね。
●宋さんの意見に賛成です。適正人口(私は6000万人程度ではないかと思います)に近づくのが理想では。そうして美しい国造りができれば再び人口が増加する時もくるでしょう。
●ひっとしたら、日本社会を追い詰めているのは「将来に対する不安」かも、宋さん、ありがとうございます。
●宋さんの意見には賛成です。ですから、少子化対策に税金を投入するのは、あまり賛成ではありません。
●同感です。現在の日本は、経済成長がすべてを解決し、国民に幸せをもたらすと錯覚しています。一般庶民の生活を直視し、 庶民が心豊かに安全で落ち着いた生活ができること、これこそ政治の唯一の目的にすべきです。
●自分もずっーとそう思っていました。マスコミが不安をあおってることこそ問題なのです。一度議論のベクトルが定まると、その流れに沿った報道しかできない体質は昔からです。その中でも、多勢に流されず本質を見極めているのが、こ
の書き込みで分かってよかったです。
●同意見です。人が多すぎると、他人に対して攻撃的になります。今の日本で虐待や自殺が後を絶たないのは、過密の中の生存競争からでは。
●さすが宋さん鋭いですね。日本の新聞でなぜこのような指摘をする人がいないのかは奇妙ですが、今の問題は人口
のせいではなく、既得権益を守るためだけに生きている無能な官僚がこちらにツケを回しているだけですよ。
●いつも、得心させられながら読んでいます。人口問題ですが、日本人は近代主義的な右肩上がりの思想を、そろそろ改めなければ。適正人口は3000万人くらいでは?と思っています。
●宋さんのご意見は、はっきり言って、大多数の人が賛成「よくぞ言ってくれた、と思っている」と思います。少子化対策などという
大義名分には、ものが言えない雰囲気があります。
●日本は今、人口減少を心配しているのではなく高齢化を恐れているのです。少子化はだめで出生率がほしいのです。
私も一中国人。そういう風に理解していますが。
●全く同感です。放送大学丹保学長は「国家として無理のない日本国土の人口規模は、5000万人くらいが限度」とおっしゃっています。未来の人類全滅の危機を本能的に察知して、人口減少に向かっているように思えます。
反対派
●人口問題の本質は「減少」そのものではなく、世代間のバランスだと思う。杞憂という一言では納得できないものがあります。
●問題は、人口の絶対数ではなく、構成である。その点を考慮していない論説には説得力が欠ける。
●甚だおかしい文章です。人口減、労働人口減を考えてみて下さい。国家の収入減は税金。労働人口が減れば税収も減ります
国家運営は成り立たない。私的には、将来、人口減であっても、バランスの良い人口構成を望みます。
●問題は、日本がただの少子高齢化社会ではなく「巨額な財政赤字つき」であること、この議論こそ重要。宋さんの記事は問題の核心を大きくはずしていると思います。
●より科学的な根拠もなしに論じても意味がない。もっと実数に基づいたまともなコラムを読ませてほしい。不愉快になりました。
●中国の方々を中心とした、宋さんにもろ手を挙げて賛成する組織的な投稿が段々激しくなっているようで、恐怖さえ感じます。
中国の方々からすれば、日本人がどんどん少なくなって、国力が衰退し、しまいに日本はなくなってしまうのが理想という潜在意識に合致したコラムであり、大賛成なのでしょう。
以上だが、彼らのほとんどがマスコミの記事・報道をまともに受け止めず、本質を突いた意見が多かった、と感じた。
司馬遼太郎は、「新聞は必ずしも叡知と良心を代表しない」と言っていたが、この意味の通り、この人たちは、新聞・報道を鵜呑みにはしていない。
内閣府の4年前の世論調査では、各種の報道について、半数に近い人が「報道
の半分には疑いを感じている」と、していたのを思い出させる。
ブロガーたちの意見の中にも、「政府、官僚に疑惑の念を持つ」的な意見が散見されたが、小生も、ここで論じられた「人口問題、少子化」についての新聞等の報道を、常に疑いの眼で受け止めている。
それは、米国のトーマス・ジェファーソン大統領が、政権初期かその前だったかに言ったとされる「いま、新聞記事で信じられるものは何もない、新聞を読まない人は読む人より事情に通じ、何も知らない人の方が真実に近い」に加え、「ニュースをみるとバカになる10の理由」(PHP研究所)が常に頭から離れないからである。しかし、そうはいっても、毎日の新聞を読まなければならず、何時も情報洪水の中から「玉」を探すのに頭を悩ませている。
二、厚生労働省とはこんなお役所
イ、みんなが知っている、摩訶不思議な、手法
そこで前述した、厚生労働省のいい加減さ、予算取りのための政策の乱発などで国民を愚弄していると、考えられる・たものを取り上げることにする。
昨年、厚生労働省は、「900年先には日本人がたった一人になる」ということを言い出した。数十年先の数値すら満足に出せないのに「たった一人」なんてよくも図々しく言い出せたものだ
そんな厚生労働省が今年6月には「平成62(1950)年の出生数予想、現在の4割43.5万人。4年前に出した予測を大幅に下回る」と言い出した。
この記事を見た時、またも予算取りと権力確保のための汚いシミュレーションだと思った。何せ、4年前に出した人口予測だってほとんど時期を同じくして日本大学人口研究所が出した数値の方が正確だったからだ。
こんな、「嘘八百」をぬけぬけと並べれらる精神構造の源は何かと考えてみたら、あの省には共産党員が64,000人(旧厚生省が45,000人、旧労働省が19,000人)もいて、いろいろ画策しているのだろうと思い当たった。
赤色派連中が絡む予算取りといえば、内閣府の男女共同参画局はじめ厚生労働省の子育て支援関連予算等を諸々含めると、国家予算の2割に近い数字をを越えているだろう。なぜなら、男女共同参画関係予算だけでも平成10年以降で累積50兆円を軽く越えているからである。
厚生労働省の平成5(1994)年の「エンゼルプラン」(これも法務省赤色派が絡む)、「次世代育成対策」などの諸々の予算は、少子化対策とは関係ない方面にばらまかれている、といわれている。
男女共同参画局といえば、「少子化は現代女性にとってはよい時代」とうそぶき、子供を生むことに反対の局長、大臣様が鎮座している・いた局のやることが信頼できないことを、どれだけの国会議員、一般人が承知しているのだろうか。
平成11(1999)年の「男女共同参画基本法」の成立までの間、何の精査もせずに、野中広務やジェンダーフリーの連中に誤魔化され振り回されたまま茫然と通過させてしまった自民党を含む議員たちが、未だに国会に残っている。
そして、この「基本法」は、今なお、各方面に悪影響をばらまいていることを報道するメディアは少ない。
少子化といえば、「1980年代には『出生率低下』というと、人口減少への危機を意識するので、『少子化』の言葉が流布されたようで、この言葉は『麻薬語』だ」というようなことをある対談で、渡部昇一氏は語っていた。
確かに思い起こせば、30年前、「18歳人口減で大学入学者数が減る」と騒がれ始めた時に、「少子化のため」というコピー付き記事を見かけたことはなかった。
厚生労働省傘下機関のレポートで「1985年生まれの女性の3割は子供を持たない」と報告が出てから6年あまり経つが、なぜ、このような意識が一般化しているのかの原因と究明、そして対処・解決方法が検討された、ということを寡聞にして知らない。
要するに騒ぎ立て予算取りの画策はするが、効果的な解決策を考えない。皮肉な言い方をすれば、問題が大きくなればなるほど予算が取れるからなのだろう。
例えば、主に地方だが出生率の高いのはなぜかといえば、「育児に関する心配のない家族構成による」との調査結果が出ているのに、そのような根源的なものは素通りして、金銭的な「育児手当」が、問題解決の最大の道だという発想が、前述の「1985年生まれ」の問題解決方策の放置ともつながっている。
大体、「エンゼルプラン」(10年間の時限立法)は、子育てに重要な要件である家族制度を解体する方向を含んだものであった、とも言われている。
平成16(2004)年「少子化社会白書」には、「少子化の歯止めはこの5年間が好機」と書かれてあったが、今年12月の厚生労働省発表には、「6年ぶりに出生数増加の予想、その理由は30歳以上の初婚率のアップや、雇用状況の改善がある」と謳っていた。初婚率のアップがさも厚生労働省の施策が影響しているような言い草だが、飛んでもない手前勝手な言い分ではないだろうか。
今年は一時的に増加しそうで、彼らとして「バンザイ」だろうが、来年以降の落ち込みは判然としている。これは、社会動向だけにのみ神経集中し、肝心な人間の根源的なものへの注視が欠如していることを彼らは意識できてない。
今年12月20日、厚生労働省から今年最後と思われる発表はとても妙なものであった。その発表には「社会保険審議会の人口部会の報告では、中位推計で出生率は、2055年には1.26になる」となっていた。この数字に似たものを
見たことがあるなと、メモを開くとやっぱりあった。
それは、今年5月、当時の川崎二郎厚生労働相が千葉での少子化タウンミーティングで、「平成62年(2050年)の出生率を1.39に回復させることを政府目標とする」と言っていたのである。
その時のメモに、小生は、「インチキな数字合わせ。どうせインチキを言うなら、もっと大きく1.45ぐらいのホラをついたらどうだ」と記していた。ここ30年前からの動きを見ても、「アガリ」の要素、可能性がないのは素人の小生でも判るのに、なんてチョンボなことをと、ますます大臣なんかは「役人の使い走りだ」との実感をさらに強めた。
12月20日の発表では、「前回推計で1.39まで回復するとしたが、晩婚・晩婚化が進み大幅に下方修正した」「2035年に減少幅が年間100万人を突破。……以降も毎年100万人〜110万人減少し続ける」とあった。
数日前の上村メモのコメントには、「何を能書き言うのだ。晩婚化の問題は、近年の傾向ではない。それを理由に、高々半年前の数字をころっと変えるのは、全くの屁理屈、逃げ口上だ。サィエンティフィツクフイクションを読んでいるわけではないんだ」。
ここまでだけでもかなりページを費やしてしまったが、未だ終わりません。頭の中では、「続けて書かなくては、未消化のままだ」と、怒鳴っています。ご容赦頂けるならば、なお続けていきますので、一息つけてから第4回を読み続けて下さい。
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