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児童書は、よいことを教えてくれる
この表題は何のことか判りますか。これは児童書の題名です。
ある書評で「『ひょんなきっかけで小学5年生の男の子が、今まで関心のなかった同じクラスの女の子を好
きになる』というおもしろい内容で」とあったのを読んで早速図書館にリクエスト、やっと届いた本を昨日1時間
かけて読んだ。
ストーリーは、この女の子は曲がったガードレールを片手でひょいと元通りに直してしまう怪力の持ち主。
男の子はその現場を偶然目撃してしまい、女の子から「私が力持ちだということはみんなに言わないで、嫌
われるから内緒にしてね」と言われてしまう。男の子はその秘密をクラスメートにも話せずいらいら。
その一方で女の子への片想いに悩むが、結局女の子の方から元々好きだったのよと打ち明けられ、最
後に彼女が言った言葉が「強くてゴメンね」。要するに「スーパーマン」の女子小学生版です。
なぜ、児童書の話を持ち出したかというと、日頃読む本の合間にこういう児童書を読むのも、楽しくて好きだということなんです。
先年八王子の赤ちょうちんで、ある知人とテレビの話をしていた時、彼から「NHKだけしか観ていないんで
しょう」と断定され、「私の定番番組はサザエさんです」と応えたが、そのくらい偏屈で堅い人間と思われてい
るわけだ。
確かにそういう面を否定できないから、頭を軽くするため年間5〜6冊の児童書や絵本を図書館から借り
て気持ちのフラット化に心掛けている。また、児童書は時々日頃の生活の中では出会わない思わぬことを教
えてくれる。例えば、「空を知らない雨」(「あした出会った少年」)。これは『涙』のことなんですよ。
読書によって得られるものは無限大
そんなことで児童書も読んでいるが、昨年の図書館からの借出冊数が一般雑誌を除いて100冊を越えて
いた。だが、こんなに読んだ実感がないからチェックしてみたら、前述のような児童書に加えて読み飛ばした
本が8冊もあって、実態としては例年の冊数とほとんど同数程度だった。
まだまだ読みたい本が限りなくある。現時点では机上にある今後のリクエスト定本は1939年発行のもの
を含めると20枚は越えているだろう。
筆者は週1回、図書館のご厄介になっているが、平成18年度の八王子の図書館の1日平均利用者数を
みると、駅前の生涯学習センターが2,011人、中央図書館が1,699人、南大沢図書館が1,230人で、
この主要図書館の合計利用者数だけでも八王子市民約54万人の0.9%が利用していることになる。
この利用者数を意外に多いなと感じる一方、興味深いのは児童書の貸出冊数で、一番多いのが南大沢
図書館、次いで中央図書館、生涯学習センターと続き、地域性を表している数字だった。
筆者が日頃利用する生涯学習センターの2階のフロアーには、最低でも1組は子供に読み聞かせをして
いるお母さんを見かける。だが、一度も男の子に出会ったことはなく、全部女の子ばかりなのは男の子はせ
わしないからなのかな?
北海道恵庭市の元図書館長で現在の市長は、「乳幼児のうちの読み聞かせは言語能力を高め、大いに
将来に役立つ」というようなことを言っていた。
現在「本離れ」が問題になっているが、本・書籍の持つ意味合いと背景が現在では大転換している上に、
筆者は好まないが洋の東西を問わず安直にインターネットに頼る時代になってしまった。
宿題にはじまり卒業論文に至るまで、極端だが机には1冊の書籍もないまま、パソコンでだけで事を済ま
せている学生が氾濫しているようである。彼らはインターネットとは本来道具にしか過ぎないということを忘
れ、便利さに慣れてしまい、調べへの自己努力を放棄したままはまり込んでしまっている。
それが学生たちの問題だけではなく、米国の大学教授も汚染されているかのような報告が昨年出され
た。簡単に述べると「Libraryは、e−braryより役に立たない」と考える大学教授が29%もいた、というので
ある。
「ジュラシック・パーク」の著者、マイケルクライトンは、「インターネットには、世界全体を(価値観・他を)均
一化させる作用があるが、進歩は作り出さない」と言った。進歩のためには、インターネット検索にだけ頼る
のではなく、並行して自己努力することが大切だということも入っているだろう。
また、違った意味でのインターネットの欠陥について、平成14年当時まだ東京大学文学部生であった北
爪宏彰さんは次のように述べている。ちょっと長いのはご容赦頂くとして、「携帯電話やパソコンでメールがで
きるようになってから、同世代や同じ趣味・嗜好・生活パターンの人間同士の情報流通が異常に進んでき
た。それはそれで悪いことではないものの、全く正反対の人間関係、つまり、異なる世代で異なる趣味を持
ち、嗜好が違って、生活パターンも共有しないような、そういう人間関係から得られるものがそこにはない」
と。要するに、携帯電話同様インターネットも頼り過ぎると、人間関係に齟齬をきたし視野狭窄の状況になる
ということなのだろう。
なぜ本を読むかについて、立花隆は「多読は、偏った解釈を間違ったまま覚える危険から免れられる」と
言う。その他多彩な「読書賛美論」はあるが、その上で、筆者は本を読む究極の目的は、清水寺森貫主が言
われる、「本を読むことは、心という蔵の中にいい材料を入れること。いい材料をためて心を豊かにして、初
めて豊かな生活ができる。本を通して、さまざまなヒト、モノ、コトに出合える喜びを知って欲しい」に尽きると
思う。
(2008.3.23)
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