|
旬日前の寒さがうそのように暖かくなってきた。我が家の遅咲きの紅梅はまだ二分咲きだが、ご近所の白
梅はもう満開で道路一面に葉が広がっている。
落ちた葉を犬がにおいを嗅ぐかのように首をかがめ、その綱の先を40歳半ばの女性が握っていた。
そこへ30歳前後の女性が犬を避けるように通り過ぎようとしているのに、くだんの女性は知らん顔のまま
綱をたぐるでもなく犬の好きなようにさせている。
犬には関係のないことだが、世の中には、犬を嫌いな人もいるわけで、嫌がるように避けて通ろうとしてい
る人には、無関心のままぼっーと立っている女性を見て、これは今流行の「自子チュー」ならぬ、自分の犬を
好きなようにさせている「自犬チュー」だな、とむかむかする気持ちをようやく抑えた。
世間では「自己チュー」が一般化しているが、最近では大阪大学小野田教授の「自子チュー」なる造語が
出てきた。要するに米国で流行ったヘリコプター・ピァレンツが日本ではモンスター・ピァレンツになった、あの
子供だけのことしか頭にない不適格人間のこと。こういう連中が多くなっている現状の中、それが「子」から
「犬」にまで及んでしまったのかという思いである
この40歳半ばの女性の行為は、まさに徳川五代将軍綱吉の「生類憐みの令」の「そこのけ、そこのけ、お
犬さまが通る」と同じ感覚である。幕閣をはじめ一般庶民からひんしゅくをかっているのに、一人綱吉だけが
悦に入っていた、これに似た「他人のことなど知らないわよ」で済ませている現代風潮を現しているのである。
さらにいえば「犬のお散歩」をされる全ての者ではないが、犬との触れ合いによる満足感より、散歩を「義務
感」と考えている人が多いなと実感する。
まさか、自動車の代行車ならぬ代行犬ではあるまい、となると、犬にだけ「癒し」を求め、自分は犬のこと
など考えない正真正銘の「自己チュー」だ。
実は今回、表題の「自子チューから自犬チューまで」の中で、前述の小野田教授の造語と「子ども主義」
「人権主義」「自己チュー」「自犬チュー」について、書いて見ようと思い立ったのだが、ここまで書いてきて、
「自子チュー」は別の機会にすることにした(表題はこのまま残したままで)。
そこで、内容を「犬」=「ペット」に切り替えることにした。元来、臍曲がりの書くことであるので、気に障るこ
とがあればご笑見の上、お見逃しを。
ご存じの方も多いでしょうが、日本で犬をペットとして飼っている総数は平成17年段階で1306万匹(ペッ
フード工業会調べ、猫は1209万匹)です。
平成10年の1044万匹に比べ262万匹の増加、この数字は全人口数と比較してもいかに多いかという
ことです(同年の猫は845万匹)。
このような増加は、「社会の混迷、不安から『癒し』を必要とする人たちが、多くなったからだ」と結論づけて
言い切る「茶の間の識者」がいますが、筆者はその他の理由として、何とも言い様がない「豊かさ感」の結果
だと考えている。
「癒し」を必要とする人たちも沢山おられるでしょうが、ある意味、「お隣りでピアノを買った、わが家でも買
わなくては」と変な見栄を張ったような時代もあったが、何時の間にかその傾向がなくなった。それはピアノを
外に持ち出して見せることができなかったことも、衰退の一因ではなかったか。
ペットも本当に「癒し」を必要とする人たち以外は、飼う傾向が減ってくるのではないだろうか。なぜなら、
今ではわざわざ見せびらかすため、自慢したいために高額な品種の犬を買う人が多い。「癒し」のために必
要なら雑種でもいいはずだ。
戌年生まれの筆者は、昔はいた「野良犬」に見られた人間に媚びるようなじゃれつきなどを好ましいと感じ
ていた。しかし、今の犬にはそれが見られないのが残念だ。これも子供に「知らない人に近づいたらダメよ」、
他人を信用してはいけないと、教えていると似た感覚で犬にも向き合っているからではないか。
その点、ドイツの犬は飼い主のしつけがよいのか、犬もマナー?がよいといわれ、日本でも近年はレスト
ランに同伴が可能になったがドイツは昔からで、さらに、地下鉄には乗車料一区間180円で同乗ができると
いう。
飼い主は他人の服を汚したり、飛び出しによる自動車事故に備えで、犬の保険に加入しているケースは
多いらしい。
その飼い主、犬ともマナーがよいドイツでさえ、マナーに欠けた飼い主が犬の糞の始末から逃げるケース
が増え、東部ドレスチン市では「処罰条例」を制定しようかという事態にまでなったらしいが、その後どうなっ
たことやら。
この点については、日本、いや、筆者の住んでいる八王子市の片田舎では、みなさんのマナーはよく、一
頃見られた糞の固まりには、最近お目にかからない。
お隣り韓国では昨年、飼い犬一匹ごとの総背番号制の「飼い犬条例」を公布。
認識票には飼い主の名前・電話番号が記録、糞の後始末が義務づけられ違反者は約1万3000円〜4
万円の義務が課せられるようになったという。
犬の散歩などには首に必ず認識票をつけるが、14歳未満の子供が1人で散歩させることは事実上禁止
となった。
一方、日本に目を移すと、動物用医薬品メーカー共立製薬では、犬か猫を飼っている社員を対象に、「家
族手当」ならぬ「ペット扶養手当」を毎月一律1000円の支給が昨年末から始まり、将来的には、飼育年数
の長さに応じて表彰金や特別休暇の創設も検討するらしい。また、ペットフードメーカーの日本ヒルズ・コルゲ
ートでは、犬猫の慶弔手当1万円が支給され、忌引休暇が1日与えられるという。
ペット関連企業のやることとはいえ、敢えて言わせてもらえば、厚生管理も人間様より、それこそ「お犬
様、お猫様」最優先、他からみれば???。
ここで猫について一つだけお伝えすると、最近「猫カフェ」なるものが流行って現在全国で20店程度になっ
ているという。この手の「猫カフェ」は1990年代後半に台湾で誕生し、日本では2004年に大阪で開店した
「猫の時間」が草分け、今年1月には、秋葉原に「ねこ・JaJaLa」が登場した。
ここは、12人で満席になるため休日には予約制とのことだが、客単価が1000円程度らしく、果たして商
売として永続するのか、他人事ながら心配だ。
こういう世の中について、東京学芸大学山田昌弘教授の「ペットがいなければ離婚をする夫婦も少くない
だろう」という話は、筆者にとってはまさに現代がペット・ブーム、また必要とする裏面をついた絶妙な考えをし
ているなと思った。
その言われたことをを要約すると、「かつて家族は経済によってつながっていたが、今の日本人は家族に
精神的面でのつながりを求めるようになり、家族や恋人に対する欲求の高まりに見合うような形で、そこにペ
ットが入り込んできた」「近代社会と家族とは極めて相性が悪いが、家族は簡単にやめるわけにはいかな
い
から家族の個人化が起きた。しかしそこでは家族を従属させたいという欲求が強く続き、それができないた
めペットをそばに置くことで、幻想の中で満足していこうとする面もある」「ペットがいなかったら離婚していたと
いう夫婦も少なくないでしょう。ペットのおかげで家族に求めすぎないというメリットもあります」「その意味『「ペ
ットはかすがい』なのです」
これはまさに、本来家族・共同体が持っていた連帯感が、西欧から否応なく押し寄せてきた個人主義の影
響によって明治期以後に崩れはじめ、それが戦後、特にバブル期以降、霧散霧消した。それが山田教授の
言うペットへのニーズが高また、ということになるのだろう。
この論でいくと世相混沌とし、なおかつ個人主義思考の強まる傾向では、ペットへのニーズは減らないこと
になる。それはある面、承服せざるを得ないが、その反面、前述したようにペットの流行は、ある種のバブル
的兆候があると考えるので、3年先までには漸減傾向に入ってゆくと考える。
まさに、独断偏見の一説でした。が、本人は決して。
(2008年3月15日) |