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世界中が混沌と混乱の中にあるが、何か、それは先進諸国だけの現象かとも思わせられるような、力強く前を進もうとしている国もある。
その羨ましさを禁じ得ず、是非この国について書き留めておきたいと考えた。
その国は自然異変の脅威の埒外にあるのではなく、氷河湖が何時決壊し津波となって、国全体が埋没させる危うさをひしひしと肌に感じている国なのだ。
それを跳ね返すように、今まで世界中が考えたこともない、「国民総幸福量」(GNH)という施策を発表し、先進国を始め世界中から、この政策立案者に講演依頼が相次いでいる、といわれている。
世界各国が「科学の進歩・発展」、そして「経済」などに振り回される現状をみるにつけ、このような発想力を失ってしまっていることを強く感じる。この施策を発想したのはどこか、ヒマラヤの麓にある「ブータン」である。
この国家戦略の基本方針は、・道路と電力の開発・教育・医療の無料化・功利主義経済学批判とグローバリズムへの警戒・自己啓発と伝統文化の維持・自然環境の保全・足るを知る仏教経済学の尊重ーなど具体的な政策目標を行う、ことだという。
前述の通り、氷河湖の決壊によって自国全体が消滅するかもしれない状況ではあるが、伝統が生きているが故の習いであろうか国王を中心に考える思想が若者にも行き渡っている。これは昭和天皇の大喪の礼に服してくれた国であることにも継っている。これを今の日本にみることができないばかりか、ブータンのような国家戦略や国民に夢を与えるような施策を建てることもできずお粗末なポヒュリズム政策に汲々としている精神・思考の貧困で覆われた国となっている。
これでは、世界から見向きもされなくなるのは眼に見えている。他国が過去に日本への憧憬を感じたのは「経済」ではなく「文化・精神・思想」であった。
「経済」は一時的羨望の対象にしか過ぎなかったのだ。
今、「ブータン」について記すネタとしたのは、千野境子と藤本欣也という2記者の合わせて2000文字程度の記事からであるが、藤本によると、「ブータンの人々は、自然環境の破壊は『精神世界の危機』と捉えている」という。
ブータンは環境保護のため森林伐採厳禁が国是であるが、水力発電所の電力をインドに供給することで得る収入が国家予算の4割を占めるという事情とも決して無関係ではないであろう(国家予算全体の4割は他国からの援助)。
また、ある村では毎年越冬のために飛んでくる鶴を保護するため、電線を引くことを諦めた住民たちがいるという。鶴は民話や民謡に登場する大切な生き物だからだと、いうのである。これは現在、日本の一部でしか考えられないことだ。
国営ブータン放送の男性人気パーソナリティーは、こう言っている。
「いま、精神世界の危機なのです。ブータンの文学や音楽は山から生まれました。森林破壊とは、私たち魂が崩壊することだと思っています」と。
このように、精神文化を中心に据えて生活を続けようとする営為を、藤本記者は惜しみつつも「何時まで続けられるか」と疑問を隠さないが、現実には国家的な危機に迫られながらも、精神文化を守ろうとしているのだ。
それは後進国だから、できる、できていた、というものではないだろう。21世紀直前にインターネットが入る前でもラジオは普及しており、世界の情報から決して絶縁状態だったわけではない。そのような環境の中で、自分たちの生活がたとえ質素でも物質を中心とするのではなく、営々とした伝統に基づく精神文化を大切にすることだと思い続けたのだろう。
要するに、自分の身の丈にあった生活をすることに徹したのだ。
今の日本、日本に限らず「そんなのは、遅れている」というだろうし、世界中の台詞てもあるだろう。それは昨今、お隣りのお国の身の程知らずの様子・騒動ぶりからもみてとれる。それは果たして正解なのであろうか。
かって、日本には「足るを知る」精神があった。そして何事によらず「節度」があった。それが「豊かさ」に浮かされて、その精神を霧散させたことが、現代に混乱・混沌を醸成させ、世情を不安に陥れてしまったのではないだろうか。
その矯正のために、ただ「法律」で事を正そうとしても直らない。何より正さなければならないのは、精神の問題であることを忘れている。
忘れているというより、そんな「面倒な」ことに、触れたくないというのが、国民であり、それを後押ししているのが行政という「化け物」である。
その意味でも、昨年来出てきた山折哲雄、佐伯啓思、藤原正彦氏らの「経済成長率信仰否定論」について、行政を始め国民は真剣に考えてみるべきだ。
今回、ブータンをテーマに取り上げたのは、前述の国家戦略にある「・足るを知る仏教経済学の尊重」の「足るを知る」に注目したからだ。
世界中が、自然環境破壊による地球壊滅を前にして、金銭の「豊かさ」のみが「豊かさ」の真髄ではないとことを、再考すべきなのだ。
最後、あの石油超大国アブダヒの超未来的な構想に触れて、止めとしよう。
アブダビは、石油を一切使わず太陽光発電中心の10万人未来都市建設を進行させている。石油埋蔵量が1000億バレル近いアブダビでさえ、“脱石油”産業を興こすためドイツ企業とともに実験プラントをすでに造っているのだ。
これらの全体のプロジェクトは「マスダル」(アラビア語で“源”、また、太陽をも指す)と呼ぶという。石油成金だからできる、ともいえるが、ブータンとはまた違った意味でのこのような構想力を日本も見習うべきだが、日本の行政には、将来に向けた壮大な計画を構築しようという構想が、中枢にも官僚にもない。
「省益」に明け暮れる日本には、国も国民にも「心の豊かさ」は永遠に訪れない。
(2008年1月20日) |